偽善研究所とは

俺は、世の中を良くしたい。

誰かの人生を豊かにしたい。

世界中のみんなが仲良くなればいいと思うし、困っている人がいたら助けたいんだ。

自分にできるのは小さなことかもしれないけど、何かできるのであれば、力になりたいと思うよ。

 

——

 

誰かがこんなことを言ったら、どう感じるだろうか。

きっと、多くの人はこんな風に感じるだろう。

「うわ、嘘くせえ」

「なんか気持ち悪いな」

「なんだなんだ、何か売るつもりか?」

 

つまり、偽善だと捉える。

 

無理もないことだと思う。

私たちは、金に目が眩んで腐りきった人間の醜さを、テレビやネットで、あるいは自分の目で、何度も何度も見てきている。彼らは建前上、「日本のため」とか「豊かな社会の実現」とか、そういうことを理念に掲げている。

そういう矛盾に慣れすぎて、「誰かのために」みたいな話を聞くと反射的に「偽善でしょ」と思ってしまう。

 

でも、偽善を疑うことはある意味正当な反応である一方、問題もある。

 

この「偽善でしょ」の雰囲気の中で、窮屈な想いをしている人がいるのだ。

何も悪いことをしていないのに、偽善だと思われないように、自分の善を表に出さないように暮らす隠れキリシタン状態の人がいると思う。けっこういると思う。

そうすると、本来広がるはずの善が広がらなくなり、善の気持ちを持った人は窮屈さを抱え続けることになる。

私も、その隠れキリシタン状態の人間の一人だ。
心にもないお世辞を口にしたり、エッチな店に行きたくなることもあるけど(たまに実行に移すこともあるけど)、「誰かの人生を豊かにしたい」という気持ちは決して偽りではない。
やはり私も、すごく相手を選んで、前置きをたくさんしないと、善の気持ちについては話せない。

 

「偽善でしょ」という空気が、偽りのない善を押さえつけている。

すごくもったいない。

 

だから、どうにかしたい。

偽善研究所のミッション

「偽善でしょ」という空気の窮屈さをなくす。